天使大学インタビュー

助産院を開業しました

天使大学大学院
助産研究科
2006年修了
(空(くう)助産院 助産師)

● 助産研究科に進学するまで

私が助産師の資格を取ったのは昭和の時代、1980年のことです。看護師として働いていた病院を休職して1年間の養成コースに通い、国家試験に合格しました。その後、出産育児のため家庭で母親業をした時期もありましたが、再度12年間助産師として病院勤務をしました。 そして、「臨床助産師としては十分働いた」という思いと、さまざまな先生や先輩との出会いがあり、ある学校の教壇に立つことになったのです。

それから5年間ほど、母性看護学を教えました。職業として看護を行うことと、それを教えるのとでは、自分の内面で起きることが違います。授業を行いながら記憶をたどって、看護師や助産師の仕事として何がベストだったのかと考えることがしばしばありました。教える立場になって考える時間が増え、いろいろな出会いが重なって、私自身の視野も広がったのだと思います。確信の持てる答えをつかむためには、専門のところで学び直すほかに道はないと自分でも分かりましたが、当時の日本国内には、そのような「専門のところ」が見あたりませんでした。

そして数年。専門職大学院の制度ができて、天使大学が助産研究科を開設するというニュースが流れました。勉強したい一心で進学の準備を進め院試も通り、家族やまわりの協力もあって、1期生としての勉強をスタートさせることができたのです。

● 時間をかけることの意味

私が資格を取った当時も今も、助産師になるための勉強はハードです。国家試験の合格レベルに1年で到達するために、脱落者が出るほどギュウギュウ詰めの勉強を必死に続けてやり遂げたことを、いまでもはっきり覚えています。

助産研究科の勉強は2年間です。これは、スケジュール的に過酷な国家試験対応にゆとりを持たせるために、急げば1年でゴールできることに2年間をかけるのではありません。1年間+αという足し算で考える何かとは別の意味を持っていて、資格のための知識に何かを乗せるのではなく、もっとコアの部分を掘り下げるために時間とエネルギーをかけるのです。ずっと助産を続ける礎となる信念を、自分自身の精神に向き合って育てる。助産師としてのアイデンティティを形成しながら、プロフェッショナルの助産師としてあるべき姿を必ずつかもうとする。すぐには答えの出ないことに向き合ってずっと歩んでいくための、力を蓄える2年間なのです。

自分自身、この2年間で間違いなく成長できたと思います。それはとても嬉しいことです。まだ修了して間もないのですが、同期の仲間と話せば研究生時代の思い出話になります。学校では「何でこんなにきついんだ」と文句のひとつも言い合った仲ですが、いまとなっては、「あの2年間で(自分たちに)種をまかれちゃったね」と話しています。プロとして助産の現場に立ったいま、自分の中に何か守り育てるべきものがあると確信できるから「種がまかれた」という言い方になるのです。これが、時間をかけたことの意味です。

● 開業するまで

助産院を開業するとなると、土地、建物、資金などのハード面と家族の協力が必要です。こうしたこと以上に、もっとも大きなハードルとなるのは気持ちの問題、踏み出す勇気だと思います。

天使大に進む前から、(社団法人)日本助産師会の会長でもある近藤研究科長(天使大学学長)のことは、存じ上げていました。時代の後押しがあったとはいえ、専門職大学院を開学することは、たやすいことではなかったと聞きます。近藤先生の活動を見聞きするたび、困難なことを次々と乗り越えていく力のもとは何だろうと感じました。

その揺らがない「もと」がどういうものであるか、私がお話することはできませんが、少なくとも私の中にも、助産の専門職が世の中に認められる一助となりたいという気持ちがあります。母子保健の発展の為、助産師を目指す学生の研修先としての活動、そして、天使大で学んだことを伝え広げるための場所として、自分の助産院を活用したい、とも考えました。

研究生時代の助産所実習では7週間、24時間フルに開業助産師の仕事を目の当たりにしました。先生が何をどうするか見ているうちに、「私にもできるかもしれない。」と思うようになりました。そして、それは「自分の助産院を構えよう。」という確信につながっていきました。この助産所でのインターンシップ実習での学びは、気持ちのハードルを越える大きな力になっています。

開業したい、自分の助産院を動かしてみたいという気持ちは、助産師ならみんな心の中に持っているんじゃないかと、私は感じています。2年間で何を学んだかという話にもつながりますが、答えを出すためには、ひとりでじっくり考える時間が必要だったと思います。

● 開業助産師の仕事

開業してちょうど2つめの出産が終わったところです。たいていの病院は、外来と病棟が分離していますから、出産を終えたお母さんが退院した時点で、助産師との関係は切れてしまいます。それと比較すれば、開業助産師とお母さんの関係は同士であり戦友のようでもあって、長く深いつながりが生まれるように思います。

あるお母さんは私のことを「三番目の母親のようだ」と言いました。実の母が最初の、嫁ぎ先の母が二番目の母で、出産を支えた私は三番目だと言うのです。生活の中でのちょっとしたこと、たとえば薬ひとつを飲むにしても、不安を感じたお母さんから電話がかかって来ることがあります。頼りにされることは嬉しいのですが、責任の重さを痛感して身が引き締まる思いです。(写真は、退院のころ)

天使大学では、自分を見つめ直すことや自分という人間の傾向を知ることにも、多くの時間を使いました。ある時、あなたの弱いところはどこかと問われて、真剣に考えました。12年間の病院勤務で身につけた姿勢、たとえば(出産に臨む)お母さんの心の奥深くには立ち入ろうとしない接し方や、安全に出産して元気に退院してくだされば良しとしていたようなことを、その時は自分の弱みと捉えました。いま、助産院の経営という仕事を始めて、心というものを改めて見つめています。そして、理解しつつあります。助産院での出産を選択するお母さん方がどんな安心と満足を得るかということと、この心の間には、本当に大切で太いつながりがあるのです。

私の助産院はまだ始まったばかりですから、これからいろんなことがあると思います。しっかり歩み続けられるかどうか、天使でもらった種を根付かせていけるかどうかは未知数ですが、ひとりひとりのお母さんと、しっかり関わっていこうと考えています。(写真は、健診のようす)

(※このインタビューは、2007年5月17日に行いました)